玉璽

『玉璽』を発見したゲーム画面

トラデスカント エピソード(ザナドゥ)・伝国の玉璽編相関図を見る

発見物情報

補足

読みは「ぎょくじ」。皇帝が用いる印章で、始皇帝が定めた。
史書では玉でできていると伝えられるが、なんらかの事情があって金で覆われたと思われる。伝国の玉璽であると思われるが、今となっては定かではない。

考察

玉璽とは本来、皇帝が用いる玉製の印章の総称であり、必ずしも「伝国の玉璽」一つだけを指す言葉ではない。秦が天下を統一すると、皇帝の印章を「璽」と呼び、玉を用いる制度が整えられた。漢もこれを継承し、皇帝には用途の異なる複数の璽が存在した。その中で特別な物語を持つようになったのが、秦から漢へ渡ったとされる「伝国璽」である。『漢書』には、秦王子嬰が始皇帝の璽を劉邦へ献じ、漢の皇帝が代々これを受け継いだため「伝国璽」と呼ばれたと記されている。ここから、皇帝の印章という実用品を超え、王朝の正統性を象徴する存在になっていった。

しかし、よく知られる伝国璽の姿には後世の伝承がかなり重なっている。「和氏璧から作られた」「李斯が『受命於天、既寿永昌』と刻んだ」「王莽が奪おうとした際に一角が欠け、黄金で補修された」といった話である。古い史料にも伝国璽の存在や王莽が元后に提出を迫った事件は見えるが、細部は史料によって一致しない。『漢書』では元后が璽を地面へ投げつけたことまでは確認できるものの、角が欠けて黄金で補修されたという部分は後世の資料で具体化していく。また銘文にも「受命於天、既寿永昌」と「受天之命、皇帝寿昌」という異なる伝承があり、材質についても和氏璧説と藍田玉説が伝わっている。

さらに重要なのは、「秦の一個の玉璽が歴代王朝を途切れず受け継がれた」というイメージ自体を、そのまま史実とは考えにくいことである。王朝が交代するたびに新しい皇帝は自らの宝璽を制作しており、後世には「伝国璽を発見した」と称する玉璽も繰り返し登場した。宋・元・明・清に至るまで真の伝国璽をめぐる議論が続いたことは、裏を返せば、その実物を確実に追跡できなくなっていたことを示している。清の乾隆帝も、特定の一顆だけを歴代の「伝国璽」とみなす考えに疑問を呈していた。現代の故宮博物院の研究者も、王朝を越えて同じ玉璽が統治の合法性を連続して保証したという理解には慎重である。

ゲーム内の発見物「玉璽」は、こうした史実と伝承が重なった存在として見ると興味深い。「金で覆われた」という説明も、玉璽全体を金で包んだという意味ではなく、元后が投げた際に欠けた一角を金で補ったという後世の伝承を反映したものだろう。そして、それが本当に秦始皇以来の伝国璽だったかどうかは確認できない。むしろこの発見物の面白さは、一個の印章そのものよりも、「これを持つ者こそ正統な皇帝である」という観念が千年以上にわたって語り継がれ、失われた後でさえ政治的・文化的な力を持ち続けた点にある。

この発見物を入手できるクエスト

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