クエストシリーズ「戦史と秘史」#3
補足
東ローマ帝国の名将ベリサリウスに仕えた書記官であるプロコピオスの著作。 「戦史」とは真逆の内容であり、ユスティニアヌス1世と皇妃、ベリサリウスとその妻らの醜聞や批判が辛辣に綴られている。
考察
『プロコピオスの秘史』は、6世紀の東ローマ帝国に生きた歴史家プロコピオスが、皇帝ユスティニアヌス1世の宮廷を痛烈に批判した著作である。原題はギリシャ語の『アネクドタ』で、「公表されていない事柄」という意味を持つ。名将ベリサリウスの書記官として戦争に同行したプロコピオスは、帝国の軍事と政治を間近に見てきた人物だった。
プロコピオスは、帝国の対外戦争を記録した『戦史』のほか、皇帝による建設事業を称賛する『建築について』も著している。しかし『秘史』では、そのユスティニアヌス帝を強欲で残酷な支配者として描き、皇后テオドラについても私生活から政治的行動まで激しく非難した。批判は皇帝夫妻だけにとどまらず、ベリサリウスと妻アントニナにも及ぶ。英雄として知られる将軍さえ、宮廷の複雑な人間関係に翻弄される人物として描かれている。
なかでも興味深いのは、同じ出来事が著作によって異なる評価を受けていることである。たとえばテオドラが女性たちのために設けた施設について、『建築について』では皇后の慈善事業として称賛される一方、『秘史』では本人たちの意思を無視した抑圧的な行為として批判されている。同じ著者による記述でありながら、描き方は正反対に近い。
『秘史』は一般に550年頃の成立と考えられ、皇帝の存命中には公表されなかったとみられている。プロコピオス自身は、権力者への恐れから公には書けなかった事柄を記録するという立場を取った。しかし、それがすべて事実だったことを意味するわけではない。著作には誇張や敵意の強い表現が含まれ、人物を貶めるための噂話が用いられた可能性もある。特にテオドラの経歴や私生活に関する記述は、慎重に扱う必要がある。
この著作の重要性は、宮廷の醜聞を暴露したことだけではない。皇帝の功績を語る公的な物語と、権力の裏側を告発する物語が、同じ時代、同じ著者によって残された点にある。『戦史』『建築について』『秘史』を照らし合わせることで、歴史家自身が置かれた政治的環境や、記録を書く目的によって歴史の姿が変わることが見えてくる。
『秘史』を無条件に信じることも、単なる悪口として退けることも適切ではない。互いに矛盾する記述を読み比べ、その背景にある意図を考えることこそ、この異色の歴史書が現代に伝える大きな価値なのである。

