ペグーの門の外 巨大枯れ木付近

発見物情報
補足
ペグー朝・ワレル王が編さんした、インドシナ最古の法典。非常に分かりやすく整えられた文章で現在にも影響を及ぼしている。
考察
ワレル・ダンマタは、13世紀末に現在のミャンマー南部を支配したワレル王の命によって編纂された法典である。ワレル王はモン人の王国を築いた人物で、当時の政治的中心はマルタバンに置かれていた。法典の成立は1290年前後とされ、モン語によってまとめられたと伝えられる。後世の歴史ではペグーを中心とする王国の系譜に含められるものの、編纂当時の王都をペグーとするのは正確ではない。
この法典が属する「ダンマタッ」は、現在のミャンマーにあたる地域で発達した慣習法の文献群である。財産の相続、婚姻、契約、争いの解決など、人々の日常生活に関わる規範を扱った。王が一方的に新しい法律を制定するというより、社会で受け継がれてきた慣習や裁判の原則を整理し、判断のよりどころとする性格が強かった。
その背景には、古代インドの法思想と東南アジアの在来慣習との交流がある。インドの『マヌ法典』をはじめとする法文献の影響が指摘される一方、ダンマタッはそれらをそのまま移植したものではない。モン人の仏教文化や地域社会の実情に合わせて内容が取捨選択され、独自の法体系へと発展していった。インド法の影響をどの程度重視するかについては研究上の議論も続いている。
ワレル・ダンマタは後世にも伝えられ、ビルマ語やパーリ語などへの翻訳を通じて、後続の王朝が法を整える際の重要な先例となった。ただし、東南アジア最古の法典と断定することはできず、より古い法律文献との関係も考慮する必要がある。
法典という発見物は、王の権威だけでなく、当時の人々が家族や財産をどのように扱い、社会の秩序を保とうとしていたのかを伝えてくれる。ワレル・ダンマタの価値は、古い規則を残したこと以上に、異なる文化の法思想を地域社会に適応させ、その知識を後世へ受け継いだところにある。
