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冒険の章「ソロモン海」第4話
発見物情報
補足
ティモール島のさらに東に位置する島。大陸と見紛う程の大きさである。中央には高い山脈がそびえ、高地と低地の気温差が大きい。島内の場所によって、人々の言語と文化が異なる。
考察
ニューギニア島は、オーストラリア大陸の北に位置する、グリーンランドに次ぐ世界第2位の面積を持つ島である。現在は西側がインドネシア領、東側がパプアニューギニア独立国に属する。島の中央には標高4000mを超える山々が連なり、熱帯の海岸低地から冷涼な高山地帯まで、多様な自然環境が広がっている。
この巨大な島には、ヨーロッパ人が到来するはるか以前から人々が暮らしていた。人類の居住史は数万年前にさかのぼり、複雑な山岳地形や河川、森林によって隔てられた地域では、それぞれ独自の言語や文化が発達した。ニューギニアと周辺の島々は、世界でも特に言語の多様性が豊かな地域として知られている。
その歴史を象徴するのが、パプアニューギニア高地のクック初期農業遺跡である。ここでは約7000年前から農耕が発達したことを示す考古学的証拠が見つかっており、さらに古い土地利用の可能性も指摘されている。人々はタロイモやバナナなどの植物を利用し、湿地に排水路を設けるなど、環境に適応した農業技術を築いてきた。ニューギニア高地は、世界でも農業が独自に発達した数少ない地域の一つと考えられている。
1545年、スペインの航海者イニゴ・オルティス・デ・レテスは、香料諸島から太平洋を横断してアメリカ大陸へ戻る航路を探す途中、ニューギニア北岸に到達した。同年6月20日、マンベラモ川河口付近でスペイン王の名による領有を宣言し、この土地を「ニューギニア」と名づけたと記録されている。
名称の由来については、アフリカのギニア地方と住民の容姿が似ていると考えたため、あるいは海岸の景観が似ていたためと説明されてきた。ただし、当時の記録や後世の解釈には違いがあり、一つの理由だけで断定することは難しい。そもそも島の存在は周辺の人々に知られており、マレー世界の航海者たちの地理知識もヨーロッパ側の認識に影響していた。
ニューギニア島の歴史は、16世紀の航海者による命名だけでは語れない。険しい山々の向こうには、数万年にわたる暮らしと、多様な言語、独自に発達した農耕文化が息づいてきた。海から姿を現す巨大な島は、人類の歴史そのものの奥深さを伝えている。

