発見物情報
- 発見場所メソポタミア河川流域、ユーフラテス川上流、紅海
- 必要スキル視認 Lv3・考古学 Lv5・イタリア語
- 冒険経験値300
- 初回発見日2026年10月26日
- 最終確認日2026年10月26日
補足
パルティア帝国の要塞都市。100を超える防御塔を有する堅固な造りで、ローマ帝国の攻撃を幾たびも防いだ。また、要塞内の都市にはオリエント風の神殿とギリシャ風の神殿が並び立っているという特徴がある。
考察
現在のイラク北部、チグリス川とユーフラテス川に挟まれた半乾燥地帯に、かつてハトラという都市が栄えていた。パルティア帝国とローマ帝国の勢力圏が接する地域に位置し、軍事上の要衝であると同時に、隊商が行き交う交易と信仰の中心地でもあった。
ハトラの特徴は、直径約2キロメートルに及ぶ円形の都市を囲む堅固な防御施設にある。石造りの城壁には大小171基の塔が設けられ、その外側には堀も築かれていた。この防御力によって、116年のトラヤヌス帝、198年のセプティミウス・セウェルス帝によるローマ軍の攻撃を退けたとされる。ローマ帝国の強大な軍事力をもってしても、容易には攻略できない都市だった。
しかし、その中心部に広がっていたのは王宮ではなく、巨大な神殿群である。ハトラでは太陽神シャマシュをはじめ、メソポタミアや周辺地域に由来するさまざまな神々が信仰されていた。神殿にはギリシャ・ローマ風の装飾と、パルティア建築に特徴的なイーワーンと呼ばれる大きなヴォールト天井の広間が組み合わされ、東西の文化が交差した都市の姿を今に伝えている。
この都市を単純にパルティア帝国の軍事基地と考えるのは正確ではない。ハトラは独自の支配者を持つ王国の中心として発展し、周辺諸勢力との関係を利用しながら繁栄を築いていた。だが、その強固な城壁も永遠ではなかった。3世紀半ばには新興のササン朝によって征服され、都市としての歴史を終える。
1985年、ハトラはユネスコ世界文化遺産に登録された。ローマ軍を退けた城壁の内側に、多様な文化と信仰が共存していたことこそ、この遺跡が伝える重要な歴史である。

