ヒュパティアの著作

『ヒュパティアの著作』を発見したゲーム画面

発見物情報

補足

ローマ帝国末期の女性ヒュパティアの著作の断片。彼女は学術都市アレクサンドリアで優れた学者として活動したとされるが、暴徒化したキリスト教徒に殺され、その著作のほとんどが失われた。

考察

ヒュパティアは4世紀後半から5世紀初頭のアレクサンドリアで活動した数学者・哲学者で、数学者テオンの娘でもあった。彼女は数学、天文学、哲学を教え、高い知名度を持つ教師として弟子を集めた。著作については、ディオファントスの『算術』、アポロニオスの『円錐曲線論』、天文学に関する著作などへの注釈を残したと伝えられるが、現在ヒュパティア自身のものと確実に認められる著作は残っていない。どこまでが本人の仕事だったのかについても研究上の議論が続いている。

415年、ヒュパティアはアレクサンドリアでキリスト教徒の集団に襲われ、殺害された。同時代に近い教会史家ソクラテスは、彼女が市長官オレステスと親しかったことから、オレステスと司教キュリロスの対立を妨げているとの噂が広まり、暴力へ発展したと記している。宗教対立だけで説明するより、都市政治と教会権力の緊張が重なった事件として見る方が実態に近い。

ゲーム内の説明では、ヒュパティアの死とアレクサンドリアの学術都市としての衰退が直接結びついているように読めるが、ここは分けて考えたい。彼女の死後もアレクサンドリアでは哲学教育が続き、5~6世紀にはアンモニオスらが教壇に立っている。また、著作の大部分が失われた原因を彼女の殺害そのものに求める証拠もない。ヒュパティアの死は都市の深刻な政治・宗教対立を象徴する事件ではあっても、学術都市アレクサンドリアの終焉そのものではなかった。

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