補足
飛鳥時代以降に作られた骨蔵器の一つ。金銅製の器の中に、遺骨が納められている。
蓋や本体に銘文が刻まれており、故人を偲ぶことができる。
考察
日本で火葬が広がり始めるのは7世紀末から8世紀初頭で、天皇や貴族、官人などの上層階級を中心に、それまでの大型古墳とは異なる小規模な火葬墓が営まれるようになった。火葬した遺骨を納める容器が骨蔵器で、須恵器や三彩陶器のほか、銅や金銅で作られたものも残っている。金銅製は銅器の表面に鍍金を施したもので、奈良県葛城市から出土した例などは、8世紀初頭の火葬墓を知る重要な資料となっている。
この発見物を考えるうえで特に興味深いのが、707年に没した官人・威奈大村の金銅製骨蔵器である。大村は持統朝に任官し、文武朝では少納言を務め、大宝律令の施行後には従五位下、さらに越後守などを歴任した。骨蔵器には391字にも及ぶ長い銘文が刻まれ、出自や官歴、越後で病没したこと、遺骨が大和へ運ばれて葬られたことまで記されている。単なる遺骨の容器ではなく、一人の官人の経歴を後世へ伝える墓誌としての役割も備えていた。
ゲーム内の説明にある「蓋や本体に銘文が刻まれている」という表現は、金属製骨蔵器全般に共通する特徴ではない。銘文を持たない例も多く、威奈大村骨蔵器では長文の銘は蓋の内面に刻まれている。したがって「金銅製の骨蔵器」という発見物は特定の一器をそのまま再現したというより、古代官人の火葬墓と、墓誌を兼ねた銘文入り骨蔵器を組み合わせて表現したものと見るのがよさそうだ。

