ノイマーゲン=ドローン

EXHIBITION 001

ノイマーゲン=ドローン

モーゼル川に残るローマの記憶

モーゼル川の風景|撮影:Dietmar Rabich / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

ドイツ西部、ブドウ畑が連なるモーゼル川のほとりに、ノイマーゲン=ドローンという町がある。「ドイツ最古のワインの町」として知られるこの場所には、約1800年前の商人たちの暮らしを伝える、数多くの石造彫刻が残されてきた。

なかでも有名なのが、ワイン樽を積んだ船をかたどったローマ時代の墓碑である。しかし、この町の歴史はワイン船だけでは語り尽くせない。そこには、ローマ帝国の交通網、交易の繁栄、国境地帯の混乱、そして忘れられた記念碑の再発見という、いくつもの物語が重なっている。

モーゼル川のほとりにある町

ノイマーゲン=ドローンは、ライン川の支流であるモーゼル川の流域、古代ローマの重要都市トリーアから北東へ約33kmの場所に位置する。現在はブドウ畑に囲まれた静かな町だが、古代には人と物資が行き交う交通上の要地だった。

町の古代名は「ノウィオマグス(Noviomagus)」。この地域にはローマ人が進出する以前から人々が暮らしており、紀元前1200年頃にさかのぼる土器なども確認されている。

ローマ時代初期の墓からは、この地方に住んでいたケルト系のトレウェリ族に関係する遺物が発見された。つまり、この土地の歴史はローマ帝国によって突然始まったわけではない。もともとの地域社会にローマの道路網や経済活動が加わり、町は次第に発展していったのである。

モーゼル川とその支流ドローン川、周囲の山々に囲まれた地形も、この町の性格を決める重要な条件だった。川沿いには人が暮らせる土地が広がり、その背後には丘陵地帯が続く。ノイマーゲンは、水上交通と内陸への道を結ぶ場所に位置していた。

ローマ帝国とモーゼル川

ローマ帝国にとって、道路と河川は広大な領土を結びつける重要な交通網だった。ノイマーゲンは、トリーアからマインツ方面へ向かう道路の経路上にあり、古代の道路資料にもその名が登場する。

この町の大きな強みは、モーゼル川を利用する船と、内陸へ向かう陸上交通を結びつけられることだった。川を船で運ばれてきた物資は、ここから周辺の丘陵地帯へ運ばれる。逆に、内陸で生産された品物は町に集められ、川を通じて別の地域へ送り出された。

周辺から運ばれたのはワインだけではない。農産物や家畜、木材なども地域経済を支えていたと考えられている。

近隣の大都市トリーアでは、多くの住民が生活し、行政や軍事活動が営まれていた。その需要を満たすためにも、周辺地域との物資のやり取りは欠かせなかった。

ノイマーゲンのような町は、帝国の歴史を語る際には目立たない存在かもしれない。しかし、巨大な帝国の日常は、こうした地域の交易拠点によって支えられていたのである。

ワインを育て、運ぶ

現在のモーゼル地方は、ドイツを代表するワイン産地として知られている。川沿いの急斜面にブドウ畑が広がる景観は、この地域を象徴する風景の一つだ。

モーゼル川流域のワイン文化はローマ時代にまでさかのぼる。近隣のピースポルトではローマ時代の大型のブドウ圧搾施設が発掘されており、古代のワイン生産を示す重要な証拠となっている。

ただし、現在のブドウ畑の姿や栽培品種が、そのままローマ時代から変わらず続いてきたというわけではない。ワイン文化の歴史を考える際には、生産された場所と、集められたワインが流通した場所を区別することも大切である。

ノイマーゲンで発見されたワイン船の墓碑は、少なくともワインの輸送や取引が当時の人々にとって重要だったことを物語る。一方、それだけで町のすべてのワインが地元産だったと証明できるわけではない。

モーゼル川の流域には、ブドウを育てる人、樽を作る職人、荷を運ぶ船乗り、そして商品を売買する商人たちがいたはずだ。ワインを一杯飲むまでの間には、実に多くの人々の仕事が関わっていたのである。

石に残された商人の記憶

ローマ帝国の時代、裕福な人々は自らの墓に大きな記念碑を建てることがあった。そこには故人の姿だけでなく、生前の仕事や社会的な地位、家族の様子などが表現されることもあった。

ノイマーゲン周辺で作られた墓碑にも、さまざまな場面が刻まれている。ワイン船に加え、子どもたちが学ぶ様子を表した学校のレリーフ、人物の日常を描いた彫刻など、その題材は多彩である。

こうした石造彫刻は、当時の人々がどのような生活を営み、何を大切にしていたのかを知る手がかりになる。もっとも、墓碑は日常生活をありのままに写した写真ではない。故人やその家族が、社会に対してどのような姿を示したかったのかという意図も含まれている。

そして3世紀、ローマ帝国の西方地域は政治的・軍事的な混乱に見舞われた。4世紀初頭、コンスタンティヌス帝の時代には、ノイマーゲンにも防御施設が築かれた。かつて商業活動で栄えた町は、トリーア方面への交通を守る城塞としての役割を強めていく。

その建設に利用されたのが、古い墓碑の石材だった。本来は人々の生涯を記念するために作られた彫刻が、城壁の基礎を支える建築資材として組み込まれていったのである。

墓碑としての意味は失われた。しかし、皮肉にも、その再利用によって数多くの彫刻が後世まで残されることになった。

19世紀後半の発掘調査で城塞の基礎から大量の石材が発見され、失われた墓碑の姿が少しずつ明らかになった。現在、これらの遺物はローマ時代の地方社会を知る貴重な資料として評価されている。

現在に残る古代の面影

現在のノイマーゲン=ドローンでは、町を歩きながらローマ時代の歴史に触れることができる。町内には考古学散策路が設けられ、かつての城塞の位置や残された遺構、墓碑彫刻の複製などが紹介されている。

城塞そのものは大部分が失われているものの、道路の位置や建物の並びには、古代の地形や施設との関係をうかがえる場所がある。

そして、モーゼル川のほとりには「ステラ・ノウィオマギ(Stella Noviomagi)」という船がある。これは有名なワイン船の墓碑を参考に製作された、実際に水上を航行できる復元船である。

モーゼル川を航行する復元船ステラ・ノウィオマギ(2007年)|撮影・提供:Neumagener-Weinschiff Crew / Wikimedia Commons / CC BY 3.0

2007年に完成したこの船は、古代の船を現代によみがえらせようという取り組みから生まれた。ただし、墓碑の彫刻を参考にした復元であり、古代の船の構造をすべて確定できたわけではない。その意味では、歴史を体験するための船であると同時に、古代船舶について考えるための試みでもある。

町から出土した重要な墓碑彫刻の実物は、主にトリーアのライン州立博物館で保存・展示されている。

かつて人々の暮らしを支えていた川は、現在も町の風景の中心にある。その川を眺めながら、商人が荷物を積み、船乗りが櫂を操っていた時代を想像すると、静かな町の景色も少し違って見えてくる。

ノイマーゲン=ドローンは、ローマ帝国の歴史が皇帝や軍人だけのものではなかったことを教えてくれる場所なのである。

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