ルンの東にある巨島の北東にある諸島

発見物情報
補足
ニューギニア島の北東沖にある諸島。最大の島は、諸島の南部から東部にかけて横たわるニューブリテン島である。島々の多くは火山島であり、噴火による被害も少なくない。
考察
ビスマーク諸島は、ニューギニア島の北東に広がる島々で、現在はパプアニューギニアに属している。最大のニューブリテン島、その北東に細長く延びるニューアイルランド島、さらに北西のアドミラルティ諸島などから構成される。島々の多くは火山活動によって形成され、険しい山地と熱帯の森林が広がっている。
この地域は複数のプレートが接する地殻活動の活発な場所にある。ニューブリテン島北東部のラバウルでは、1994年9月19日にタブルブル火山とバルカン火山が相次いで噴火した。大量の火山灰が市街地を覆い、建物や農地に甚大な被害を与え、多くの住民が避難を余儀なくされた。火山は島々の大地を生み出す一方、人々の暮らしを脅かす存在でもある。
しかし、この島々の歴史は火山だけでは語れない。ニューブリテン島の考古遺跡からは、約3万5000〜4万5000年前に人々が暮らしていたことを示す証拠が見つかっている。島々を隔てる海を越え、人々は早くから移動し、生活圏を広げていたのである。
その交流を物語るのが黒曜石である。ニューブリテン島で産出する火山ガラスは、石器の材料として利用され、離れた島々へ運ばれた。産地分析によって、その移動は数万年前までさかのぼることが明らかになっている。
約3300年前になると、この地域に精巧な幾何学文様を刻んだ土器を特徴とするラピタ文化が現れた。その成立には、島々に古くから存在した文化と、東南アジア方面から伝わった技術や文化の交流が関わったと考えられている。ラピタ文化はやがてソロモン諸島東部を越え、バヌアツ、フィジー、サモア方面へ広がっていった。
「ビスマーク諸島」という名称は、ドイツ帝国の宰相オットー・フォン・ビスマルクに由来する。1884年、島々はドイツの保護領に組み込まれ、植民地支配のもとでこの名称が用いられるようになった。しかし、それよりはるか以前から多様な言語と文化を持つ人々が暮らしていた。
ビスマーク諸島は、火山の力によって生まれた島々であると同時に、人々が海を越えて交流を重ねてきた場所でもある。その歴史には、太平洋の島々を結ぶ航海文化の長い歩みが刻まれている。
