浦項の門の外 南にある斜め岩の近く

発見物情報
補足
損傷の激しい木簡。新羅の遺物が多く発見される場所で、よく出土する。
この地域で過去に起きた出来事を記録したもののようだが、傷みがひどく解読できない。
考察
木簡は、木を細長く加工して文字を書いた記録媒体である。古代朝鮮半島では中国の竹簡とは異なり、竹よりも木材を利用したものが主流だった。新羅の木簡には長方形だけでなく、四面・五面など複数の面に文字を書ける多面木簡もあり、文書、帳簿、荷札、物品管理、学習、祭祀など幅広い用途に使われていた。紙が存在しなかったため仕方なく木を使ったというより、丈夫で加工しやすく、その場で記録や表示に利用できる実用品だったと見る方が実態に近い。
新羅木簡の代表的な出土地の一つが、現在の慶尚南道咸安にある城山山城である。ここからは300点を超える木簡が見つかり、その多くには地名、人名、物品名、数量などが記されていた。これらは6世紀頃、新羅が各地から税や物資を集め、城へ運び込んでいた仕組みを直接伝える資料となっている。また新羅王京の慶州をはじめ各地の遺跡からも木簡が出土しており、中央だけでなく地方行政でも文字による管理が広く行われていたことが分かってきた。
ゲーム内の説明では「この地域で過去に起きた出来事を記録したもの」とされているが、新羅木簡の内容は必ずしも歴史的事件の記録とは限らない。実際には役所間の文書、物資の荷札、帳簿や集計記録など、日常的な行政実務に関するものが多い。また出土した木簡は水分を含んだ遺構など特殊な環境で残ったものが多く、文字が薄れたり欠損したりして全文を読めない例も珍しくない。損傷した一本の木簡から過去の事件を読み取るというゲームの設定は創作的だが、新羅社会の姿を同時代の文字から知る一次資料として、木簡が非常に重要であることは確かである。
