金庚信の墓

『金庚信の墓』を発見したゲーム画面

発見物情報

補足

新羅の将軍・金庚信の墓。
金庚信は花郎の出身で武烈王から厚い信頼を得た。新羅の三国統一に多大な功績を残したものの、統一目前で没し、ここに葬られた。

考察

金庚信は595年に生まれ、673年に没した新羅を代表する将軍・政治家である。金官加耶王族の系統を引き、新羅に仕えたのち、太宗武烈王と文武王を支えて百済・高句麗との戦いに深く関わった。668年の高句麗滅亡時には高齢と健康上の理由から自ら出陣しなかったものの、軍事・政治の両面で統一戦争を支えた功績は大きく、文武王から最高位級の待遇を受けた。花郎との関係も伝えられているが、後世に強調された英雄像と、史料から確認できる実際の経歴は分けて見る必要がある。

現在、慶州市忠孝洞にある「慶州 金庚信墓」は韓国の史跡に指定されている。墳丘の周囲には護石がめぐり、十二支像を配した石造装飾が見られる。このような十二支像は統一新羅期の王陵や高位者の墓に特徴的な要素で、国立中央博物館にも金庚信墓から出土したと伝わる十二支像が所蔵されている。一方で、現在の墓が金庚信本人の墓であるという伝承は古くからあるものの、墓制や石造物の年代については後世の整備を含む可能性が指摘されており、墳墓そのものの成立過程には検討の余地が残る。

ゲーム内の説明では「三国統一目前で没した」とされているが、ここは修正が必要である。百済は660年、高句麗は668年に滅亡し、その後の唐との戦争を経て新羅が朝鮮半島南部の支配を確立するのは676年頃とされる。金庚信は673年に没しているため、百済・高句麗の滅亡には立ち会ったが、対唐戦争の最終決着を見る前に亡くなったことになる。「統一目前」という表現は大筋では理解できるものの、新羅による統一をどの時点と見るかによって意味が変わるため、年代を分けて捉える方が正確である。

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