ブラキオサウルス

EXHIBITION 009

ブラキオサウルス

ドラゴンの骨が語りはじめた真実

ドラゴンの骨を追いかけて

地中から巨大な骨が現れた。それが何の生き物のものなのか分からなければ、人はどんな姿を思い描くだろうか。伝説に登場するドラゴンのような、恐ろしい怪物を想像したとしても不思議ではない。

『大航海時代 Online』には、そうした巨大な骨の正体を追いかけるクエストシリーズがある。オリーブが最初に調査したのは、背中に板状の突起を持つ不思議な生き物の骨であった。現実の恐竜に当てはめれば、大きな骨板を背中に並べたステゴサウルスを思わせる。

ステゴサウルスの骨格標本。背中に大きな骨板が並んでいる。
背中に大きな骨板を並べたステゴサウルスの骨格標本。
写真:Motokoka / 国立科学博物館 / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

続いて現れたのは、途方もなく長い首を持つ生き物の骨である。その特徴から連想されるのは、中生代に繁栄した竜脚類の恐竜たちだ。巨大な胴体を四本の脚で支え、長い首と尾を備えた仲間である。

そして最後の調査では、長い首に加えて、後脚よりも前脚が長いという特徴が明らかになる。これは、竜脚類の中でもブラキオサウルス類を考える重要な手がかりとなる。

ただし、この三種類の骨が現実の特定の恐竜と一対一で対応しているとは限らない。ステゴサウルスと竜脚類は異なる系統の恐竜であり、ゲーム内の発見場所も実際の化石産地と必ずしも一致しない。

それでも、断片的な骨の特徴を手がかりに、未知の生き物の姿を探っていく過程は、古生物学者たちが行ってきた研究とよく似ている。残された骨を比較し、生きていた時代や環境を調べ、失われた体の形を推定する。そこには、想像だけではたどり着けない発見がある。

では、現実のブラキオサウルスとは、どのような生き物だったのだろうか。

大地を歩いた長い首の巨人

ブラキオサウルスは、約1億5200万〜1億4500万年前のジュラ紀後期、現在の北アメリカに生息した大型の植物食恐竜である。化石は、アメリカ西部に広がるモリソン層から発見された。この地層は、多種多様な恐竜の化石が産出することで知られている。

当時の北米には、河川や氾濫原を含む広い平野が存在していた。そこには針葉樹、ソテツ類、シダ類などの植物が育ち、さまざまな植物食恐竜が暮らしていた。アロサウルスのような大型肉食恐竜も、同じ時代の生態系を構成していた。

ブラキオサウルスの最大の特徴は、後脚よりも長い前脚である。一般的な竜脚類では後脚が長いものも多いが、ブラキオサウルスは肩の位置が高く、胴体の前方が持ち上がったような姿をしていた。学名のブラキオサウルスには「腕のトカゲ」という意味がある。

シカゴ・オヘア国際空港に展示されたブラキオサウルスの復元骨格。長い首と高い肩が特徴的である。
北米産ブラキオサウルスをモデルとした復元骨格。
写真:Aleksomber / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

高い肩と長い首は、樹木の高い位置にある植物を食べるのに役立った可能性がある。ただし、首の姿勢を骨だけから正確に復元することは難しい。常に頭を高く持ち上げていたのか、必要に応じて首を動かしていたのかについては、筋肉や関節の構造を考慮した研究が続けられている。

巨大な首を支える仕組みも興味深い。竜脚類の脊椎には、内部に複雑な空洞が発達したものがある。鳥類の気嚢に似た呼吸器系の組織が骨の中へ入り込んでいたと考えられ、長い首の重量を抑えることにも役立っていたとみられる。

ロンドン自然史博物館は、ブラキオサウルスの体長を約22メートル、体重を約46.9トンと紹介している。しかし、こうした数値は完成した全身骨格を直接測定したものではない。北米産ブラキオサウルスには完全な骨格がなく、欠けた部分を近縁種と比較して補う必要があるためだ。

恐竜の体長や体重は、標本の大きさだけでなく、胴体の幅、筋肉や内臓の体積、尾の長さなど、復元に用いる条件によって変わる。図鑑に書かれた巨大な数字も、研究によって導き出された推定値なのである。

まして、骨だけから体の色や模様まで知ることはできない場合が多い。私たちが目にするブラキオサウルスの復元図は、確かな骨格の証拠と、研究者による慎重な推定とを組み合わせた姿なのである。

骨が名前を与えられた日

1900年、アメリカ・コロラド州西部。シカゴのフィールド博物館から派遣された調査隊が、グランド川流域に広がるジュラ紀の地層を調べていた。

調査隊を率いていたのは、古生物学者エルマー・S・リッグスである。彼は1898年にフィールド博物館へ採用され、アメリカ西部で恐竜化石の調査を進めていた。

この調査で巨大な骨を最初に発見したのは、隊員のH・W・メンケだった。後にリッグス自身も、1903年の論文で発見者としてメンケの名前を明記している。今日ではリッグスによる発見として紹介されることも多いが、実際には調査隊の共同作業によって見いだされた標本であった。

発掘されたのは、上腕骨、大腿骨、骨盤、胴体の脊椎、肋骨などである。多くの骨は互いに近い位置に保存されており、リッグスは同じ一頭の恐竜に属すると判断した。しかし、頭骨や首を含む完全な骨格は見つからなかった。

コロラド州の発掘地点で記録されたブラキオサウルスの化石。胴椎、仙骨、腸骨、肋骨が発見時の位置に残る。
発掘時の位置関係を記録したブラキオサウルスの化石。
写真:Elmer S. Riggs(1904) / Wikimedia Commons / Public Domain

それでも、この化石には、それまで知られていた竜脚類とは異なる重要な特徴があった。前脚の上腕骨が、後脚の大腿骨よりも長かったのである。

リッグスは当初、ほかの竜脚類との分類上の違いを慎重に検討していた。19世紀末にはアメリカで恐竜化石の発見が相次ぎ、限られた骨から新しい名前が付けられる例も多かった。既存の属との区別が十分でなければ、学名を増やすことが分類をかえって複雑にしてしまう。

1903年、リッグスは学術誌『American Journal of Science』に論文を発表し、この恐竜をブラキオサウルス・アルティトラクスと命名した。特徴的な上腕骨の長さと深い胸郭は、新属を設ける重要な根拠となった。当時知られていた恐竜の中でも、特に巨大な動物として注目された。

もう一頭のブラキオサウルス

だが、ブラキオサウルスの姿をめぐる物語は、アメリカだけでは終わらなかった。

1909年から1913年にかけて、ドイツの調査隊が当時のドイツ領東アフリカ、現在のタンザニア南部にあるテンダグルで大規模な化石発掘を行った。この地域からは多数の恐竜化石が見つかり、後にベルリン自然史博物館の重要な収蔵品となった。

調査隊が持ち帰った化石は約225トンに及び、その中にはブラキオサウルスによく似た巨大な竜脚類の骨も含まれていた。アフリカ産のこの恐竜は、1914年にブラキオサウルス・ブランカイとして命名され、長く北米産ブラキオサウルスと同じ属に分類されてきた。

テンダグルの発掘は、恐竜研究に大きな成果をもたらした。その一方で、発掘がドイツの植民地支配下で進められたことも忘れてはならない。現地の人々は発掘、化石の準備や梱包、標本の運搬などを担い、その知識も新たな発掘場所の発見に役立っていた。働き手の多くは、植民地行政による動員や税の負担に迫られて集められた人々だった。

その一人が、ボヘティ・ビン・アムラニである。彼は発掘現場の監督者として重要な役割を果たし、ドイツ人研究者が不在の期間にも作業を指揮した。膨大な化石はヨーロッパへ運ばれ、ベルリン自然史博物館は現在、こうした収集の歴史や植民地支配との関係についても調査を進めている。

20世紀初頭のテンダグル調査で現場監督を務めたボヘティ・ビン・アムラニを写した歴史写真。
テンダグル調査の現場監督を務めたボヘティ・ビン・アムラニ。
写真:撮影者不明 / Wikimedia Commons / Public Domain

1937年、ベルリンの博物館にはアフリカ産の巨大な恐竜骨格が展示された。それは複数個体の化石と人工的に補った骨を組み合わせた復元骨格だったが、そびえ立つ長い首と高い肩を持つ姿は、広く人々の記憶に残るものとなった。

やがて、この復元骨格の姿がブラキオサウルスの代表的なイメージとして定着していった。しかし、ここには重要な問題が隠れていた。北米で発見された最初のブラキオサウルスと、アフリカで見つかった恐竜は、本当に同じ属だったのだろうか。

1988年、古生物学者グレゴリー・ポールは、アフリカ産の恐竜をブラキオサウルス属の中の亜属として区別し、ギラッファティタンという名を与えた。その後も分類をめぐる研究が続き、2009年には古生物学者マイケル・テイラーが両者の骨格を詳しく比較した研究を発表した。

テイラーは背骨や尾椎、上腕骨、骨盤などを比較し、少なくとも26の形態的な相違を報告した。両者は近縁ではあっても別属として扱うのが適切だと結論付け、ギラッファティタンという名称の使用を支持した。

ベルリン自然史博物館に展示されたギラッファティタンの復元骨格。長い首と高い肩が特徴的である。
かつてブラキオサウルスと呼ばれたギラッファティタンの骨格。
写真:Dosseman / ベルリン自然史博物館 / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0

現在、ベルリン自然史博物館の巨大骨格はギラッファティタン・ブランカイと呼ばれている。かつて世界中でブラキオサウルスとして親しまれた姿の多くが、実際にはアフリカ産の近縁種をもとにした復元だったのである。

恐竜に名前を付けることは、研究の終着点ではない。発見された骨を比較し、分類を見直し、新しい証拠に合わせて復元像を修正していく。ブラキオサウルスの研究史は、科学が完成された知識の集まりではなく、検証と修正を重ねて進む営みであることを教えてくれる。

ドラゴンは地中に眠っていたのか

恐竜という生き物が科学的に知られるよりもはるか昔から、人々は地中に埋もれた巨大な骨を発見していた。その正体を知る手段がなかった時代、骨を伝説上の生き物と結びつけて解釈することもあった。中国では古くから「竜骨」と呼ばれる化石が薬用として扱われてきた。ただし、竜骨には哺乳類などの化石も含まれており、恐竜の骨だけを意味する言葉ではない。

陳容『九龍図』(部分)。雲や水の間を動く龍が描かれている。
陳容『九龍図』(部分)。南宋の1244年に描かれた龍の絵巻。
写真:陳容 / ボストン美術館 / Wikimedia Commons / Public Domain

巨大な化石がドラゴンや怪物の伝説に影響したという説もある。しかし、化石と伝説の関係は、見た目が似ているというだけでは証明できない。

例えば、中央アジアで発見される角竜類プロトケラトプスの化石が、古代のグリフィン伝説に影響したという有名な仮説がある。ところが、2024年に発表された研究では、伝説の成立時期や化石産地との関係などが再検討され、直接結びつける根拠の乏しさが指摘された。

このことは、恐竜化石と伝説が無関係だったと証明するものではない。重要なのは、魅力的な説明であっても、裏付けとなる史料がなければ確かな歴史として扱えないということである。

古代の人々も現代の研究者も、目の前にある不思議な骨を理解しようとした点では共通している。ただし、その解釈を支える方法は大きく異なる。

現代の古生物学では、骨の形態をほかの動物と比較し、化石が発見された地層の年代を調べ、骨格全体の構造を復元する。新しい化石が見つかれば、それまでの説明を修正することもある。ブラキオサウルスとギラッファティタンの分類の変化は、その分かりやすい例である。

『大航海時代 Online』でオリーブが追いかけたドラゴンの骨も、そんな科学の歴史を思い起こさせる。背中に骨板を持つもの、長い首を持つもの、そして前脚が長いもの。残された特徴から生き物の姿を想像し、証拠と照らし合わせていく。

地中から現れた骨は、それだけではすべてを語ってくれない。しかし、その一つひとつを調べることで、遠い過去の世界が少しずつ姿を現す。

ドラゴンの骨を追う冒険は、かつて大地を歩いた本物の巨人たちへとつながっている。

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